6月18日大阪であるセミナーに参加してきました。
日本リトリーブサイコセラピー協会という団体が主催している心理に関するセミナーです。
テーマは「不安の克服~自分を生きる方法~」
実は私もこの協会の会員でして、協会の広報担当の方から、協会の広報誌に掲載する記事作成のために、セミナーの感想を書いてほしいとの依頼をいただきました。
セミナーの感想はすでに書き終わって提出したのですが、文字数制限があったためかなりコンパクトにまとまった文章になりました。
書いている途中から、
書き足りない
もっと学んだことたくさんあるのに
という書きたい欲が湧き上がってきました。
せっかくの機会ですので、セミナーの振り返りも兼ねて、心に残ったこと・気づきなどを記録しておこうと思います。
セミナーに参加しようと思った理由
そもそもこのセミナーに行こうと思った理由は、
①オープンセッション(参加者の前で公開で行われる心理セラピーのセッション)が見たかったから
②「自分を生きる」とはどういうことか知りたかったから
③以前の長期講座で一緒に勉強してきた同期に会いたかったから
でした。
今回のテーマは「不安の克服~自分を生きる方法~」ということで、セミナーに行く前に予想していた内容としては、
・人は不安を感じるのが嫌だから、無意識にそれを避けようとする
・不安を避けようとすることでかえって問題を悪化させてしまう
・自分が感じている不安を受け入れて、自分がどうしたいかを決めて行動していくことが大事
といったところかなと思っていました。
実際に参加してみてどうだったかというと、内容の方向性は事前の予想と大きな違いはありませんでしたが、期待を超える学びと自分に対する気づきがあったので参加してよかったと思いました。
「できない不安」と「愛されない不安」
心に残ったことは、不安は大きく2つのカテゴリーに分けられるという話でした。
その2つというのは、
①もしできなかったどうしよう・・・という「できない不安」
②嫌われたらどうしよう・・・という「愛されない不安(孤独の不安)」
だそうです。
自分はどうかなと考えてみると、「愛されない不安」が強いなと思いました。
できないことについてはそんなに不安はなくて、
できなくても別にいいじゃん、死ぬわけじゃないし
くらいに思っていることが多いです。
できないことよりも、できないことを恐れて自分が本当にやりたいことに挑戦できないことのほうが怖いなと思います。
あと感覚的に、
努力でなんとかなる分野であれば自分ならどうせできる
という根拠のない自信みたいなのが昔からあります。
・・・なんか文字にしてみると、すっげー調子に乗ってるやつ感あるなあ。
そして本題の「愛されない不安」
これはかなり強いなという自覚があります。
・仲間に入れなかったどうしようとか
・嫌われたらどうしようとか
そういうことを考えることは多いです。
初対面の場面や関係が浅いときにはあまり不安を感じないのですが、仲が深まっていくほど不安を強く感じます。
わかりやすく言うと、相手のことを好きになっていくほど「愛されない不安」は大きくなっていきます。
なんでかなと考えてみると、
仲が深まって距離が近づくほど、本当の自分が見られる気がする。
いや、見られるというよりは「バレてしまう」という感覚に近い。
・・・ここまで書いていて気づいたことがあります。
それは、私は本音を好きな人にさらしたときに、それを受け取ってもらえないことがすごく怖いんだなということです。
できないことよりも受け入れてもらえないことのほうが、悲しくて怖いんだなと思いました。
しかも「バレてしまう」って表現もひっかかる。
「バレてしまう」ってことは、そもそも自分はおかしい・間違っている、という前提があるってことだし、
「バレてしまう」ってことは、隠しているということです。
これは私が本当にしたいことではない
自分のことをおかしい・間違っていると考えて外に出さないようにしているのは、ほかでもない自分自身です。
自分で自分を否定して隠して生きているというのは、とても悲しいことだと思う。
少なくとも自分だけは自分のことを受け入れて味方でいてあげたい。
それにだめな自分がバレたからってなんだっていうんだ、といま思いました。
弱みは可愛さでしょ。
ワンピースのルフィだって泳げないし、
スラムダンクの桜木花道だっておバカでできないことばかり。
だいたい人気のあるキャラクターって必ず弱みがあるよなあ。
うん、やっぱり弱みは可愛さだ。
少なくとも自分だけは自分のことを受け入れて、一番の味方でいてあげよう。
そして、そのまんまの自分で生きていきたいし、素直な自分で人とつながっていきたい。
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