3歳の息子の話なんだけど、ちょっと聞いてほしい。
先日、息子2人と一緒に風呂に入りました。
僕は出張で家を空けることも多く、いつもは妻が子どもたちと風呂に入っているのですが、
僕が家にいるときは、僕が子どもたちと一緒に入ります。
その日は休日だったので、僕が子どもたちと一緒に風呂に入りました。
子どもたちも楽しそうにしていました。
風呂から出たあと、次に妻がひとりで風呂に入りました。
子どもたちの寝る準備が終わって一息ついたくらいのところで、3歳の息子が言いました。
「YouTube見たい」
すでに21時を過ぎていたので、もう寝ようと伝えました。
すると息子が、
「ママが見ていいって言った」
おう、それは困った。
でももう寝る時間だからやめとこう、と伝えました。
「やめとこう」
「ママが見ていいって言った」
「もう21時過ぎてるからやめとこう」
「ママが見ていいって言った」
「もう寝る時間じゃけえだめ」
「ママが(以下略)」
会話にならん。
「じゃあママにも聞いてみ?」
息子と2人で、ママのいる風呂まで行きました。
「ねえ、YouTube見ていい?」
「寒い!寒いけん閉めて!」
まじかあ
予想外の回答に固まる男2人。
もう一度チャレンジ。
チラッチラッ
「寒いけん閉めて!」
「ママが見たいいいいい」
YouTubeよりもママが見たくなった息子が泣き出しました。
風呂に行けば、寒い閉めてと言われ、
行かなければ息子が大泣き
わしゃどうすりゃええんじゃ
どんどん息子の泣きが激しくなっていきます。
「ママが見たい」
「ママが見たい」
「アワダケツイタママが見たい」
「アワダケツイタママが見たい」
ん?
アワダケツイタ?
ママが見たい?
泡だけついた
ママが見たい
すまん、息子よ
今は見せてやることはできん。
なぜなら、いま風呂を開けると、
泡だけついたママに、パパが怒られるからだ
抱っこしても何しても泣きやまない息子に悪戦苦闘しているうちに、妻が出てきた。
出てくるや否や、息子を抱っこする妻。
「泡だけついたママが見たかったあああ」
「泡だけついたママが見たかったんだねー」
「泡だけついたママが見たかった」
「ママが見たかったんだねー」
「うん」
「いっつもママとお風呂入っとるもんねー」
「うん」
「明日はママと一緒に入ろうねー」
コクリ
「入ろうねー」
コクリ
・・・・・
寝た
催眠術かってくらい寝た
なにこれ
きっと息子はママに抱っこされて、ママに気持ちをわかってもらえたと感じて、安心したんだと思います。
「ママは僕の気持ちをわかってくれてる」
と。
共感というは、こういうことなのかもしれません。
共感とは、
相手が置かれた状況と、相手が感じていることを理解し、理解を示すこと。
共感とは、
相手と共通の認識を持ち、共通の認識を持っていることを示すこと。
ママすげえ、そしてありがとう
と思うとともに、
父として、人として、修行が足りないなあ
と、力不足を感じました。
あと、息子よ
泡だけついたママが見たいって話は、
外ではしないように
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